【金苗 未菜美 略歴】
2011年株式会社つきじちとせに入社。2012年1月に株式会社つきじちとせと株式会社シュクレイが合併。シュクレイ第1号ブランドである「東京ミルクチーズ工場」の立ち上げに参画。羽田空港内に常駐し、空港内を転々とする催事を展開。常設店が新宿をはじめ各地域に展開すると各店にオペレーションやノウハウを定着させる役割を担った。その後も新ブランドの空港内催事において常に新ブランドの立ち上げに携わる。
常設店では、渋谷、吉祥寺、東京駅、立川コートクール、荻窪フランセ、表参道フランセ本店、秋葉原Cow Cow Kitchenと各店で店長を務め、2020年5月末から産休を取得。2022年5月に復帰。子育てと自分の仕事の傍らで、後輩店長たちのサポートに強い意欲をみせている。

入社当時の気持ち、思い出

怒涛の!東京ミルクチーズ工場「一座」の旅巡業

Q.入社動機、シュクレイの入社時の印象は?

大学は文学部美術科。小学2年生から、ずっとピアノをやっていてピアノには自信がありました。だから大学ではそれ以外のものを身につけたくて美術の方に進んだんです。ピアノも大学4年生まで続けましたし、学校では美術を学んで、いざ就職活動と臨んだ時に考えたのは「ものづくり×販売」でした。

雑貨や手芸、それに画材、ホームセンターなどを受ける中で、本当にたまたま、就職ナビの検索でシュクレイがヒットしたんです。大学時代、ケーキ屋さんでアルバイトをしていたので、「販売×お菓子」とか検索したのかもしれません。私、それまでシュクレイのお菓子は知らなかったんですけど、なぜか導かれるように説明会に行きました。

「隣の人をほめてください」。他社の面接ではそんな会社なかったですし、選考が進む間も顔を覚えてくれていて、学生一人ひとりをみてくれていることがよくわかりました。「人を大切にしている会社なんだな」って思いましたし、人間的な優しさがとても伝わってきて、就活の最後にはもう一切の迷いはなく、シュクレイに決めました。

私の入社は2011年。正確にいえば、株式会社つきじちとせの入社で2012年の1月に株式会社つきじちとせと株式会社シュクレイが合併したカタチになります。最初の配属は羽田空港の「築地ちとせ」。私が入社した頃は羽田空港にしか、まだお店はなかったんです。そこで接客販売の基礎を教わって、その3ヶ月後にシュクレイ第1号ブランドである「東京ミルクチーズ工場」の立ち上げに参画させて頂きました。本当に、合併から東京ミルクチーズ工場の立ち上げの時代って、怒涛の時代でした。

東京ミルクチーズ工場の催事は4人のチームで羽田空港の中を何か月か単位で移動します。サーカスとか劇団の巡業のように、まさに旅なんです。羽田空港の中をずっと転々として、空港から出ない旅行みたいに(笑)。来る日も来る日も同じメンバーで、まるで家族のよう。早朝から夜中までずっと一緒にいて、美味しいご飯も食べさせてもらって。帰りに現場に立ち寄って、「あと2時間後にはまた、ここにいるんだ」みたいな、そんな感じでした。

苦じゃなかったですよ。楽しかったですね、本当に。それもお世話になった3人の大ベテランの先輩方がいてくれたからです。この方々がいたから私はやっていけた。皆さんのことは今でもずっと尊敬していますし、皆さんとの思い出がやっぱりこの会社で長く続けて来られた根底にあると思います。

最初の配属の築地ちとせからですからね。本当に色々な事を教えて頂き、公私共々お世話になりました。だから、入社前に感じていた「人間的な優しさ」とか、「人を大切にする会社」というイメージは、まさにイメージ通り。いや、それ以上だったと思います。

一人ひとりの「手作り」が第1号ブランドを育てた

当時は会社自体も人数がまだ少なかったので、みんな顔見知り。それぞれ担当する仕事は違っても、会うと声を掛けてくれるし、小さな小さな組織でした。でも、「すごく少ない人数で、大変な事をやっている」ということをみんながわかっていて、それぞれがそれぞれの仕事で頑張っていることを知っている。

ブランドを、商品を創ってくれた人、販促物やディスプレイを創ってくれた人…、そういう関わるすべての人が大変な思いをして創っているところを目の当たりにしてきました。そんな「手作り」の第1号ブランドに掛ける熱のようなものがすごく印象に残っています。

もう本当に必死で、「どうにかして、いいブランドを創ろう!」ってやっているんです。だから私も、心から「頑張って売ろう!」という気持ちになる。「この人たちが頑張って創ってくれたものを売りたい」という気持ちが込み上げて来て、その思いの強さが楽しかった。売れるのがものすごく嬉しかった。

そういう「手作り」への思いや熱っていうのは、会社規模は大きくなりましたけど、今も残っているなって思います。それに「大変だな」という人が多分いなかったんですよね。今もそうですけど(笑)。

だから「東京ミルクチーズ工場10周年」って、嬉しかったんですよね。前の取材で「母親が子供を育てるように。ブランドを育てる」って喋っているんですけど、「もう10歳になったんだ」って。そんな私も初めての産休育休明け。私も母になりました(笑)。

起点 -ターニングポイント-

「大切にしてもらった」巡業時代。今度は私が返したい

「大切にしてもらった」巡業時代。今度は私が返したい

Q.現在のポジションに至るまでに起点となった出来事、マインドセットは?

東京ミルクチーズ工場の常設店が新宿をはじめ各地域に展開していく間は、空港催事の店長を務めながら合間合間で1週間くらい新規オープン店のヘルプに行っていました。スタートのお店の回し方っていうんですかね。ノウハウを各常設店に置いてくる。そんな感じです。

この期間が結構長かったので、羽田空港を出て常設店の店長を務めたのはかなり後ですね。ザ・メープルマニアもそうですけど、羽田空港の催事は新ブランドのお披露目の場でもあるので、常に新ブランドの立ち上げには関わって来た感じです。

前の取材でも喋っていますけど、ブランドを育てるのって、たぶん子供を育てるみたいな感じなんですよね。ハイハイしていたのが両足で立って、しつけをしながら見守り、そしてやがて自立していく。子供の成長を支える母親みたいな…。前の取材の時はまだ私自身が母親になったことはなかったですけど、いま子供を持って、さらに実感します。子供に対する気持ちや思いの強さを、ですね。まだ子育て2年なので、子供が成人してからでないと、そこのすべては語れませんけど。

その後産休に入るまで、渋谷、吉祥寺、東京駅、立川コートクール、荻窪フランセ、表参道フランセ本店、秋葉原Cow Cow Kitchenと各店で店長を務めさせて頂きました。

ずっと店長をやらせて頂いて大切にしてきたのは「人」です。もちろん「売上」もですけど。やっぱりこの会社に入って、色々な人にお世話になって、支えて貰って、教えて貰って、その貰った分を今度は私が一緒に働いてくれる人たちに返していきたいって思うんです。

たぶん私にとって一番のターニングポイントって、入社してすぐの空港内の巡業時代だと思います。3人の先輩方との思い出がずっと私のベースとして生きていて、その時に「してもらって私は頑張れた」という経験をちゃんと見せていきたい。だから、「みんなが働きやすく、楽しく仕事が出来る環境って何だろう」って、ずっと毎日毎日考えて仕事をしています。

働きやすい、人を大切にしているお店は必ず売上も上がるとは一概には言えないんですけど、やはり楽しく働いているお店の方が売れるとは思います。

もともと私は「お客様と私との1対1の楽しい空間をつくりたい」というのが基軸にあります。お店とは、その「お客様と私の楽しい空間づくり」の集合体。だから、人を大切にする、働きやすさを大切にすることで、他の人たちも「お客様と私の楽しい空間づくり」を楽しめるようになって、売上も上がる。この「お客様」「働きやすい、仕事に楽しく取り組める環境」「売上」の三角形をいつも意識しながら仕事をして来ました。

そのベースにあるのは、まぎれもなく「大切にしてもらった」空港内の巡業時代なんです。そういう環境で育ったから、そうなっているのかなって思いますし、だから続けて来れている。自分が店長になったからには、やっぱり「働きやすい、仕事に楽しく取り組める環境」をつくってあげたいなって、それが私のひとつのモチベーションになっているんです。

スタッフが3倍。15人の「お客様と私の楽しい空間づくり」

スタッフが3倍。15人の「お客様と私の楽しい空間づくり」

そういう思いを持ち続けて、色々なお店の店長を経験させて頂きました。その中でも大変だったのが東京駅。それまでのお店って、一般的な規模である5人とか6人のお店だったんですね。それが東京駅の時はスタッフ総勢15人。今までの3倍くらいなんです。私ひとりでこの人数と関わるのは、今までのやり方だと出来ない。15人それぞれの考え方がありますし、新しい、出会ったことのない考え方もある。

「考え方が違う=合わない子」ではないんですよね。でもその子は、私が自分のことを好きじゃない、みたいに捉えちゃったりするんです。そんなことは全然なくて、ただシフトが被らないだけなのに。だから、シフトを作る時もみんな平等に被るように作るとか…。すごく大変でした。

当然、相手がいっぱいいると気にすることも増えて行きます。「この子はこれをしたら、こう思う」「別のこの子の場合は、こう思う」という間を取るとか。そういう事が結構大変だった。そこで鍛えられた感はあります。でも、「働きやすい、仕事に楽しく取り組める環境をつくる」ということは絶対にぶれない。

あとはこのお店、1ブランド1店舗だったんですよ。東京駅にしかない、この1つのブランドが全部私に掛かっているというプレッシャー。新商品の詰め合わせの組み合わせ、何を何個入れるとかも、みんなで考えてやっていたので、それも売れるものを考えなきゃいけないし、一方でスタッフのケアもして。東京駅って、朝から晩まで実質一日中開いているんです。だから心も体も休む暇がない。

この時は深澤さんが統括リーダーで見てくれていて、本当に助けてもらって。当時、深澤さん、ザ・メープルマニアの店長も兼務されていたんです。だから一層、頭が上がらない。あの激務を見ていると、「私、これで文句言っちゃいけないな」みたいな。尊敬します。でも本当に親身になって助けてくれるんですよ、深澤さんって。

ただ、この東京駅のお店を経験したことで、「お客様と私の楽しい空間づくり」の集合体、 「お客様」「働きやすい、仕事に楽しく取り組める環境」「売上」の三角形がブラッシュアップされたというのも事実です。5層のミルフィユが15層になっても、まんべんなくクリームが行き届き、サックサクな美味しいミルフィユであるように開発し直した感じですかね。

産休・育休からの復帰

売場に立ってきた身だからこそ、我儘なシフトが懸念だった

Q.秋葉原のCow Cow Kitchenの立ち上げを店長として務められた後、産休を取られています。どのようなお気持ちでしたか?

やっぱり仕事を続けたかったので産休の取得を考えました。でも復帰した時のことが全然想像できなくて。というのも、ずっと売場に立ってきた身ですから、「売場に戻りたい」と言った時に、「土日休みで早番だけ」みたいなシフトをお願いすることがとても迷惑を掛かるなと思ったんです。だから戻りたいけど、それがずっと懸念でした。

でも松本岬さん(部長)に相談したら、「戻って来てほしい」「まだ仕組みが出来ていないから、産休育休を取って戻ってきて、これから取れる人を増やしていくために、いっしょにやろう」って言ってくれたんです。それを聴いて、やっぱりこのまま取ろうかなという気持ちになりました。はい、岬さんは入社した時からの先輩で、本当に長いお付き合いで、私のお姉さん的存在です。

周囲の人たちもみんな「いいよ!」って感じでしたし、長いこといたからですかね。やっと来たかみたいな感じだった。「おめでとう!」「いいよ、いいよ」って言ってくれました。そこは全然不安な感じはなかったです。「あっ、いいんだ、取って」みたいな。

引き継ぎも産休に入る前に副店長をやってくれていた子が店長になって全部引き継いてくれましたし、秋葉原のCow Cow Kitchenの立ち上げからずっと一緒にやって来た子なので安心して引き継ぐことができました。

そうですね、主人も同じ会社なんです。なので、「もし辞めたとしても、また働きたくなっちゃうだろうから、新しいところでイチから始めるより復帰の方がいいんじゃない?」って。たしかに、家庭環境も新しいし、仕事も新しいとなると、ちょっと辛いかなっていうのはありますよね。「会社も取っていいよ!と言ってくれているなら、取って戻る方が気持ち的にもいいんじゃない?」って、そんな感じだったと思います。働くことに関しても、私に任せるという感じでした。我が家はお互い自立タイプなので、各自が好きなようにやります(笑)。

人と話したい。休んでいても連絡を貰えることが嬉しい

取得中はずっと子供中心の生活でした。ちょっと目を離すと何するか分からないので、付きっきりですよね。1日1回くらいは外に出ようと思って、散歩とか公園とかスーパーとか行って。やっぱりコロナ禍だったので、子供のことを考えると、ちょっと動物園とかは行けず、ずっと家の周りみたいな感じでした。

お休み中は本当に人に会いたかった。会話する人がいなかったんですよ。赤ちゃんは喋れないじゃないですか。だから、会話のキャッチボールをしてくれる人が欲しくて。そんな中、岬さんがお茶に誘ってくれたり、会わない時もLINEとか電話をくれて。休んでいても、連絡を貰えるって、やっぱり嬉しいですよ。

そんなお休み期間を経て、ちょうど2年くらいで復帰しました。産休が7月からで、有休消化を使って5月末くらいからお休みさせて頂き、子供が産まれたのが8月です。だから出産の3ヶ月前くらいですね。それでちょうど2年後の5月末くらいに復帰しました。

本当は0歳の4月から保育園を考えていたんですけど、その頃ちょうどコロナがすごく広がっていて、外に出すのが不安だったんです。だから岬さんに相談して、1年またプラスして頂いて。「いっしょにいれる時は、いっしょにいた方がいいよ」って言って下さいました…、本当に優しい。

今は、シフトが回る状態になっているところに、プラスで入れてもらってる感じです。「子どもが熱を出して帰らなきゃいけない」とか「急に次の日休まなきゃいけない」とか、やっぱりちょっと不安定なので。もう少し落ち着いて来たら、多分1人としてカウントして貰えるのかなと思うんですけど。色々試して、これからという感じですね。

朝からクタクタ。ここから仕事ができるのか?

復帰した時はお客様との話し方や声の出し方が最初は思い出せなくて、それを掴むのが結構大変でした。「私、どうやって喋ってたっけ?」みたいな…、10年以上やって来たんですけどね。

だから、喋りまくりました(笑)。「これか?」「あれか?」みたいな感じで色々試してみて、しっくり来るのを探す。でも売れない、お客様と噛み合わない。もしかしたら、コロナの影響もあったのかもしれませんね、マスクもしているし。

「お客様もあまり喋りたくないのかな」とか色々考えちゃいますよね。「どこまで近寄っていいのかな」とか。コロナ前は普通に喋っていたし、普通に試食も食べて頂いていたのに。そんなことを考えながら1か月くらいやっていたら、ちょっと慣れて来ましたね。

だから仕事復帰は不安しかなかったです。仕事そのものもそうですけど、生活の一部として仕事が成り立つのか?という点も。「朝起きて、仕事に行って、帰って、子供を迎えに行って、そこから家事をやって、寝て、また朝起きて、というのが本当に続けられるのか?」って。

週5でシフトを出しているので、それを月曜日から金曜日まで腹を決めてやり切る。もう本当にギリギリです。何回か心が折れそうになりました。家を出るまでがまた大変なんですよ。食べないし、着ないし、もう出るまでにクタクタで、「ここから仕事が出来るのか?」って。

でも周囲の方々が本当に声を掛けてくれるので救われています。岬さんやエリアの今野マネージャーも最初はもう「大丈夫?大丈夫?」って、心配してくれて。立川に復帰したんですけど、私がフランセで、お隣の催事のお店と東京ミルクチーズ工場とコートクールがあって、会う度にみんな「今日もいるの?」「大丈夫?」って言われて。みんな優しいんですよ。

コートクールにアルバイトの方で今4歳ぐらいの子の先輩ママがいらして、この方が産休を取ってまたコートクールに戻って来た方なんです。一度経験されているから、色々教えて下さって、心配して下さって、すごく助けて頂いて。

お隣の催事のお店にも私の1か月後ぐらいに産休を取って復帰した方がいて、朝ロッカーに着く時間もいっしょで、ロッカーも隣なんですよ。毎朝「今日も頑張ろう!」って言いあって(笑)。だから周りも優しくて、否定的な人が全然いないので、本当に助かっています。

たしかに仕事と子育て、家庭の両立って大変ではあります。でも、人に会えないお休みの期間のことを考えれば、生活にメリハリは出るのかなと思いますし、私の場合、人と会っている時間がとても大切な時間なので、今の環境はありがたい。みんな優しく迎え入れてくれて感謝しています。

当たり前だったことが当たり前じゃない。だからこそ感じる感謝の気持ち

子供ができて変わったことといえば、全部変わった。当たり前の事が当たり前じゃないというか。今まで一人でやりたいようにやって来たのが、自分のことよりも子供や家庭のことが一番になって来るから動き方が変わる。それが生活していて一番変わったなって思う点です。

だからこそ、色々な要望をきいてくれる会社への感謝もひとしおです。「やっぱりいい会社だな」って思いました。復帰後に「できれば家から何分以内のところにしてほしい」とか、「週5で入れてほしい」とか、色々要望を言ったんですけど、「いいよ」って言ってくれて、その環境で働かせて貰って。

週5は、保育園が週5じゃないと入れなかったんです。本当は週4とかぐらいで、ちょっと様子を見たかったんですけど。本当に助かりました。

接客をしていて、以前よりママの気持ちがよくわかるというのはありますね。「これくらいの年齢だったら、これは食べられるだろう」とか、「妊婦さんだから、こっちを勧めた方がいいかな」とか。

あと、お子さんが寝ていたりすると、小さい声で話し掛けたり、すごく静かにお会計したり。子供が寝ていてくれる時間って、ママが一番望んでいる時間だから、一秒でも長く寝かせてあげたいと思うんです。逆に、あまりじっとしてなさそうなお子さんだったら、急いで全部会計を済ませて、サッと渡してとか。たぶん、そういう気遣いは自分が経験しているから以前より敏感になったんだと思います。

働くとはどういうことか。私の仕事観

人がいて、はじめて自分を自覚する。その先に成長がある

Q.あなたの人生において仕事とは何ですか?

産休の間も「仕事したいなぁ」って思いました。仕事とはたぶん「自分の成長」かなって思います。仕事をしていると、新しい発見みたいなことがいっぱいありますから。

やっぱり仕事をしていると色々な経験をさせてもらえるので、面白いんですよね。その中でも「人が好き」というところが私は特に大きくて。だから、色々な人とお話が出来て、それを吸収していける「売場に立つ」ということが一番楽しいのかもしれない。

産休で休んでいる間は、誰とも喋れなかった。そうすると、「私って何だろう?」みたいな感じで、よく分からなくなって来て。だから仕事って、自身を自覚し、さらに新たな扉を開くきっかけなのかなって。

その楽しさや面白さのキーが「人」なんでしょうね。やっぱり「人」がいないと面白いことも出来ないし、楽しさも出て来ない。ひとりで出来る楽しいことも色々あるとは思うんです。でも私の場合はそっちには行かなくて、やっぱりちょっと誰かとお喋りしたいという気持ちがある。相手を通して、はじめて自分を自覚しているのかなって。

だから仕事とは、まず人との関わりであり、自身を自覚すること。そこから、楽しいことや面白いこと、新しい発見が生まれる。その先に成長があるっていうことなのかなって思います。

未来の自分、未来のシュクレイ

会社の、みんなの、役に立ちたい

Q.これから、どのようになっていきたいですか? 自分と会社の未来力

会社に対しては、このままやっぱり、働きやすい、やさしい会社であってほしいなと思います。育休産休を取って戻って来れたというのもそうですし、制度が整っていなければ、これから整えればいいし、これからもっと産休育休を取る人が増えていったらいいなって思います。やっぱり産休育休に対して、不安な人ってたくさんいると思うので、そこは私がサポートしたいですね。

自分としては、会社の、みんなの、役に立ちたいという気持ちが一番大きいです。私はいま、店長を外れて、店長をやっていた時程の仕事の大きさがないから、違うことをやりたくなっちゃうんですよ。店長として働いてた時の仕事量に比べると、今はちょっと少ない。

だからそこで浮いた分で、悩んでいる人たちのために何か出来るんじゃないかなって思っています。いま立川で4店舗、他のお店とかも見ていて、昨日も店長がみんな会議でいなかった時に、店長じゃないと出来ない仕事とか、そういうのを割とやったりして。

そういう仕事をもっと他の子にも振って、店長の仕事の量をもう少し減らすやり方を教えたい。「こうやったら?」とか「全部自分でやるもんじゃないよ」と店長に教える係みたいな(笑)。みんな本当に頑張り屋さんなので、もう少し負担を減らしてあげたいんです。だから、そういう風に役に立てることがないかなって、休み明けからすごく考えるようになりました。それを今後ひとつずつ形にしていきたいなというのが私の将来イメージです。

  • STORY .01
  • STORY .02
  • STORY .03
  • STORY .04
  • STORY .05
  • STORY .06
  • STORY .07
  • STORY .08
  • STORY .09