【大澤 悠生 略歴】
2017年入社。翌2018年にチーフ、2019年サブリーダー、2022年に史上最年少で統括リーダーに昇格。幼年期より和太鼓と三味線の稽古に励み、前職は和太鼓奏者。シュクレイとフランセの合併後初の中途採用で入社し、まだ稼働直後のラングドシャラインに参画、その礎を築いた。コロナ禍からの1年半ぶりの再稼働時には生産予定組みを中心にラインの管理業務を担当。コロナ禍の社会情勢、日々180度変わる販売の動きに対し、予想に予想を重ねて1日掛けて組んだ予定が次の日に白紙に戻ることも少なくない中、製品の在庫を持ちすぎるリスクと状況が急変したときに供給が間に合わないリスクに向き合った。その時の心境を「自身の発想がラインの動向やメンバーの意欲を変化させる。その責任とやりがいを実感した」と語る。

入社当時の気持ち、思い出

10年間続けた和太鼓。それがなくなった時点で、もう何もなかった

Q.入社動機、シュクレイの入社時の印象は?

シュクレイとフランセが合併した2017年、合併後初の中途採用で入社しました。前職は生産とも食品ともまったく違う畑です。私、小学2年生の時から和太鼓と三味線を習い事としてやっていて、高校を卒業してからは師匠のもとで下積みを続けました。国内の公演や時には海外での公演にも出させていただき、仕事といえば仕事なのですが、なにせ下積みの身。お給料はもちろん出ないですから、朝早くから稽古をして、夜は別のアルバイトで生計を立てるしかありませんでした。それが直接的な原因ではないのですが、様々な要因が重なって、その舞台のお仕事は1年半で辞めることになりました。和太鼓しかやって来なかったので、自分にできることがあまりにもなくて、とりあえず趣味程度で好きだった洋服の販売のお仕事をそのあと1年くらいしていました。

我が家は、母親が調理師で、姉がパティシエ。料理家系で育ったのに私は全然これまで食品とは縁がなくて。ある日、これから何をしていいか、わからなくて姉に相談したんです。そうしたら、フランセのミルフィユの生産の仕事を勧めてくれました。フランセのミルフィユは横浜で有名なお菓子ですし、私も大好きだったのでその募集に応募したんです。今まで表舞台に立ってる方が長かったので、「裏方の仕事、つくる方の仕事もいいな」と思って。

でも当時の私は虚無感、抜け殻状態。10年間、寝ても覚めてもやってきた和太鼓がなくなった時点で、もう何もなかった。何がしたいということより、自分の生活を支えるため、自立するための仕事選びでしかありませんでした。給与面だったりとか、土日休みだったりとか、自分の生活とのバランスでまずは選んだって言うところが正直なところです。結果としてはもちろん「自分に向いた仕事に出会えたな」というところなんですけど、その時点では全然何も見えてはいませんでしたね。もちろん、統括リーダーになりたいとか、なれるなんて一切思っていなかったです。

グループ企業の精鋭部隊が創るラングドシャライン

入社後、横浜工場で配属されたのはラングドシャライン。合併前、フランセの工場だった横浜工場には、それまでラングドシャラインはありませんでした。北海道や静岡などからグループ企業の精鋭部隊が集結。新たにラングドシャラインを築いた直後に私がそこに配属されたカタチです。

まだ立ち上がったばかりで人も揃っていないラングドシャラインはドタバタ状態。ラインとしても、まだ未完成だったところに未経験の私が入って、何がなんやらですよね。とにかく言われたことをやるっていうところでしかなくて、右も左もわからない中、先輩社員の方に色々教えていただきました。

ただ、舞台のお仕事でわりと早く仕事を始めていたことや、学生時代から「自分で動かなきゃ」とか「責任感を持たなければ」みたいなのは強い方だったのかなと思いますし、和太鼓の稽古で小学生の頃から親のいない場所にひとりで通ったりもしていたので、自立心は旺盛だったと思います。自我が強めの感じですね(笑)。

なので、意外とそういう環境にポンと入れられても大丈夫なんです。だから、すごく緊張したとかはあまりなくて、「ここでとにかく頑張らなければ」というか、「入った以上、入れていただいた以上は何かしら役に立たなければ」という気持ちでした。でも、その自我強めが、もしかしたら煙たかったかもしれないのですが…。

色々なグループ会社から選抜されたグループの精鋭メンバーの方々は格好良かったです。ラングドシャライン自体がすごく規模が大きくて、速いライン(時間当たり生産数が高い)なので、私はただただ圧倒されるばかり。そのラインを素早い動きで操り、機械に調整を加えていく。経験と知識の成せる業だなぁと思いました。

それに出来たばかりのラインなので、チームが完全に出来上がっているわけではないんですね。みんながお互いに、「この人どんな人なんだろう」って、きっと探り合いながら、チームをまだつくっている途中に私も入れて貰えたので、それもよかった。がっつりチームが出来上がっているところに入る方がむずかしいと思うんですよね。これから構築されるチームの一員として、という感じで迎え入れてくださったので、それはすごくありがたかったです。

そうですね、会社の第一印象は、こんなに優しいんだと思いました。反動っていうんですかね。私にとってはすごく新鮮なんですよ。8時に来て17時に帰る、残業したらお金が出る、そういう当たり前のことが私にとってはすごく優しいことに思えて。経営理念手帳「こづち」や「こづち朝礼」も新鮮でした。これが企業というものかと。初めてですから、社員として企業組織に属したのは。

起点 -ターニングポイント-

コロナ禍の空白の時間。あるアイドルグループとの出会い

コロナ禍の空白の時間。あるアイドルグループとの出会い

Q.現在のポジションに至るまでに起点となった出来事、マインドセットは?

自我が強めな感じ。そう、入社してからまだラングドシャラインにいた頃まではトゲトゲしていました。後輩のミスが許せなかったり…、厳しさが自分の評価につながると思っていたんだと思います。「自分がどう評価されているか」「評価されるにはどうしたらいいか」。つまり、他人のことより「自分が」っていうところが強かった。それがコロナ禍を経て、新しいライン、ショコラサンドラインに入ってから、その自我が強いタイプから結構変わったのかなと思います。

コロナ禍、空港や百貨店などにある店舗は営業ができない状態。生産部の私も、2020年の3月から6月まで生産がなく、出勤できない状態が続きました。その空白の時間に、すごくプライベートな話なんですけど、あるアイドルグループとの出会いがあったんです。

私はずっと子供の頃からアイドル好きで、いわばオタクなんですけど、その時その時の推しのアイドルやアーティストの価値観から影響を受けて、自分の人間性を創ってきました。これまでの自分の価値観は、「自分が活躍すること」「自分が評価されること」とか「自分が優秀だ」ということがイコール人間性の高い人物だという風に私は思っている節があったんです。それがその韓国のアイドルグループの存在に触れることで一変しました。

WEBや雑誌、インタビューやライヴ映像など、あらゆるコンテンツを見漁っていて出会う言葉。「プライドって何の役にも立たない」「人は誠実なだけでこんなに格好いいんだ」…etc. ああ、これだなーって思いました。

負けず嫌いだったし、無駄なプライドも高かったし、他人を許せないとか認められないとか、そういう一人よがりな人間性に半分は疑問を持ちながらも、自分を押し切っていた。自分自身への疑問に自覚はあってもプライドがそれを邪魔していた。

人に優しいとか、人に誠実っていうだけで、人間はこんなにも素晴らしい。「仕事が出来る、出来ない」とか「評価される、されない」とかではなくて、人に対して真正面に向き合うこと、優しさっていうのがすごく大事なんだっていうことを突き付けられました。

それが私にとって大きなターニングポイントだったんですけど、やっと仕事を再開出来ることになると、ラングドシャラインは動かず、今も所属しているライン、ショコラサンドラインに私は異動になりました。ラングドシャラインのみんなには、当時きっと嫌な思いをさせてしまっていた。私はきっと色々な人を傷つけていた。みんなといっしょにいられる間に自分が変われなかったことが今でも心残りです。

ラインの再稼働。ここで変わるしかない

ラインの再稼働。ここで変わるしかない

ショコラサンドラインになってから、メンバーはがらりと変わりました。ラングドシャラインでいっしょに働いた後輩たちもいない。かつてのメンバーに何かを返せる機会はないということに複雑な心境ではありましたけど、一方でイチから人間関係をつくれる環境ですから「ここで変わるしかない」という思いがありました。それは仕事のためというよりは、自分の人間性のために変わらなければいけないなって思って。

常々思うんですが、ショコラサンドラインは本当にメンバーに恵まれているラインで、それこそ優しくて周囲から信頼されるようなメンバーが揃っているんです。ただ課題は、そんな中に私がサブリーダーとして急に入ってきて、場を乱さず、何かプラスなものを生み出せるかということでした。

立ち上がってそんなに時間も経ってなく、完全にラインとして整っているというわけでもないショコラサンドライン。まさに後輩たちが頑張って作り上げている最中です。私は、どう立ち回って、この人たちと新しく関係を築けばいいのか。

やっぱりショコラサンドラインというものを会社に貢献できる、数字としても高く向上したラインにしなければいけない。それはサブリーダーとしてのミッションです。でも、それをぽっと出の私が急にやって、誰がついて来てくれるだろうかという葛藤に悩みました。

まずは私が経験して来たラングドシャラインとショコラサンドラインで共通して活かせる部分はないかということを探す。ラングドシャラインは、すごく伸び率が高くて、数字としてもしっかり取れるラインでした。そこにどう近づけていくか。

次は、基礎的なルールを意外と知らないメンバーが多かったので、基盤作りみたいなところを始めて。とにかく作らなきゃいけないものを作り、ラインとしての目標を明確にして、全員で共通認識を持ってやっていこうということですね。

サブリーダーとしての自覚と行動。一方で人間として大切なこと。その両軸を常に自分に言い聞かせ、メンバーとラインに向き合いました。ラングドシャラインの時の失敗を繰り返さないように。

でも、楽しかったです。徐々に変わっていく様を自分の目で見て、噛みしめられますから。ラングドシャラインの時は、どちらかというと先輩たちが変えて行ったところに、私は運良くついていけたという感じでした。その立場がある意味、自分のところに来て、自分の手で、みんなと一緒に変えられるっていう楽しさ。辛かったという思いはあまりなかったですね。

働くとはどういうことか?私の仕事観

喜びを創り 喜びを提供する。もちろんお客様が第一、
でもその中には働く仲間や自分も入ります

Qあなたの人生において仕事とは何ですか?

私は、人生を相対的に見て自分が幸せであることが重要だと思っていて、正直に言えば、仕事が一番ではないです。仕事は、自分の人生全体が幸せになるための一つの手段であって、仕事に自分の生活を侵されたくはないと思っています。それはどんな仕事であってもです。ただ、和太鼓は人生とイコールだと思っていたので、あの頃はそうは感じていませんでした。

いま、仕事は自分の人生が幸せなものになるための一つの手段と考える時、仕事をどうしていくかということはもちろん重要です。どうしたって、人生の大半を占めているのは仕事の時間ですし、家族より会う時間が長い同僚だっています。

自分の人生の大半を占める仕事が苦痛だったら、私の人生は幸せではない。だから、「楽しく仕事をするために自分はどうしていこうか」「この仕事にどうやって楽しさを見いだそうか」考えます。仕事ってどうしたって嫌なこともあるので、それをどうやって楽しさに持っていけるか。そこが私にとってはすごく大事なところでなんです。

経営理念手帳「こづち」に「物心両面豊かになる」という項目があります。この事業への経営参画を通して、物心両面豊かになるという内容です。そして私たちの経営理念は「喜びを創り 喜びを提供する」。商品やサービスに、より高い価値を生み出して、「喜びを創り 喜びを提供する」ことで私たちは物心両面豊かになります。

この考え方に、さらに私にはもうひとつ大事な捉え方があるんです。「喜びを創り 喜びを提供する」対象はもちろんお客様が第一。でも、いっしょに働く仲間や自分もそこに入ります。

お客様に対しては、美味しい商品をつくること、より品質の高い商品をつくること、クレームのないよう細心の注意を払って生産することなど、生産部としての喜びの提供があります。でも生産部って、お客様と対面で常に立ち合っているわけではないので、そこに対する意識というのはもちろんあっても、それを成し遂げるプロセスに大事なものがあると私は考えています。それは仲間や自分との間での「喜びを創り 喜びを提供する」です。たとえば、「後輩が喜んでくれると、私も嬉しい」というように。

悩んでほしくないんです、仕事のことで。

ショコラサンドラインでに来て、「ここで変わるしかない」と自分の人間性を見直して、サブリーダーから統括リーダー(史上最年少)にも昇格させていただいて。その中で自分に何ができるかと考えた時、大前提として考えるのはメンバーのワークライフバランスです。

「この人にとっても、この人の生活がある。仕事で侵してはいけない」っていう気持ち強い。仕事場を出た瞬間に、仕事のことは一切忘れて、自分の生活に戻れるラインにしよう。8時から17時ならその時間内にスッキリ忘れられるように、終わった後に何か心残りを残さないように、自分がフォローして行こうって、いつも考えています。

悩んでほしくないんです、仕事で。特に人間関係においては。この仕事をして家に帰ってまで仕事の失敗を引きずってほしくないなぁって。もともと私自身がオンオフすごく激しいので、仕事場を出た後は、仕事のことは何も考えてないし。それが万人にとって幸せとは言わないんですけど、だけど一緒に働いている仲間にも、まずは自分の生活が第一優先になってほしいっていう気持ちが強いんです。

それに、「会社で認めて貰えないから、自分はダメなんだ」みたいな思考回路に陥ることがないように。それは前職から私自身もずっと心にも留めてきたことです。病みたくないじゃないですか、仕事で。きっと世の中にも、そういう方がたくさんいらっしゃると思うんですけど、評価されない会社は、私は辞めたっていいと思っていて、ただ合わなかっただけだって。

もちろん怠けていたとか、遅刻ばかりしていたとか、そういうのは仕方がないと思うんですけど、「常に頑張っている」という意識があるのであれば、きっとその頑張りが合う会社がどこかしらにある、いつか出会えると思っているので。私の場合は、それがたまたまシュクレイだったということだと思います。

シュクレイで活躍・キャリアアップできる人とは、どういう人か?

自主性のある人。みんなが良くなるために、自ら仕事をみつけられる人

Q.シュクレイで活躍できる人・キャリアアップできる人とは、どういう人だと思いますか?

自主性のある人。それに尽きるような気がします。皆さん優しいので、仕事を振ってくれますし、何かしらの指示ありきで充分仕事はできます。でも、生産部って毎日同じものを作っていて、新しい出会いが早々あるわけでもないですし、ある意味普遍的なモチベーションをどう自分でコントロールして、仕事にやりがいをみつけるかっていうのが一番悩むような気がするんですよ。

販売の方や営業の方は、お客様がいらっしゃったり、商談先の企業の方がいらっしゃったり、常に相手が他にいる状態で仕事をすると思うので、日々の明確な目標というのがあると思うんですよね。でも生産部はそういうものがないので、「じゃあ、何をもって目標達成と言えばいいんだろう」とか、「どういうことを成し遂げたら、それは勝ってることになるんだろう」とか、結構むずしいと思うんですよね。

一番あるのが、飽きてしまう。モチベーションがそのせいで維持出来ないというのが一番大変なのかなと思っていて。そこを打開する策っていうのは、もう自主性でしかなくて、誰かがお尻を叩いてくれるわけではないですし、その中で自分が埋もれずに、自分でどうやって変化をもたらしていけるかを考えられる人がきっと他の人の目を惹くんだろうなって思います。

そうですね、たとえば生産性を上げる。生産性を上げるというのは回転数という「1分間に何個流れるか」を上げていくことによって1日の中で生産できる数量を上げるということです、当たり前なんですけど。でも、たとえば回転数を上げるボタンがここに1個あるとして、そこを押した時に何が起こるかと言うと、すべての機械を調整していかなきゃいけないんです。そこのリスクを自分で選んでまでも、このラインのために創意工夫をしたり、どういう調整をしていけばいいのかということを考えられるか。もちろん、機械的な専門知識があるわけではないので、生産技術の方にノウハウを聞いて取り組むことから始める。でも、そういう取り組みを実際に行っている後輩もいます。

生産性だけではなくて、それぞれ活躍できる分野も違うので、また別の後輩は、教育面に力を入れています。新しい社員や派遣さんが入って来た時、どうやって教えていくか。また、この人になら着いていけるっていう状態にどうやって持っていけるかという、人間関係のつくり方にも着目しています。

回転数や歩留まりに注力する人もいるし、新しい人が入った時に教えるための教え方、マニュアル、そして人間関係の構築に着目する人もいる。考えれば、いっぱい良くしていくものってあるんですよね。分野は違っても、すべて自主性の産物です。だから、言い換えれば、「みんなが良くなるために、自ら仕事をみつけられる人」ということかもしれませんね。

未来の自分、未来のシュクレイ

人間性で貢献できる人間になりたい

Q.これから、どのようになっていきたいですか? 自分と会社の未来力

いま私は、統括リーダーという役職をいただいて半年経ったところなんですけど、マネージャーをはじめ周囲の方々にいろいろな事を教えていただき、この仕事にとてもやりがいを感じています。責任を背負うことで成長もできていると思いますし。役職が人を育てると言いますしね。まずは会社の経営に貢献すること、数字を出すことはもちろんなんですけど、その中でもうひとつ意識していることがあります。

人間性で貢献できる人間になりたい。後輩とか、ラインに属しているメンバーとか、ラインに関係なくこの生産部にいる皆さんに対してですね。統括リーダーとして経営に貢献する、その過程の中で「どう人間的に成長していくか」。それが私にとってはすごく重要なことなんです。

未熟ですし、未熟なゆえに他人に大きなプラスの影響を与えるっていうのは、まだまだ出来ていないなと思うんですけど、この会社でお菓子作りだけではないことを後輩たちにも学んでもらいたいって思っていますし、その学びの発端が私だったら、そんなに嬉しいことはないなと思います。そうですね、「あなたと働けて良かったです」というひと言が貰えるようになったら嬉しいなと思っています。

私、後輩がもう可愛くて仕方ないんです。私もまだまだ小童ですが、歳もまだちょっと近くて、部下というよりは本当に後輩みたいな年齢の子も多いので、その子たちがこの仕事で変わっていく様を見るのがすごく嬉しくて。

この間、今年度のこづち大会(グループの成果発表会)のシュクレイ代表を決める決勝戦に私の所属しているラインの後輩が選ばれたんです。それを聞いた時、「ああ、こんなに嬉しいもんなんだな」って思いました。去年私が決勝に進出した時もマネージャーや上の方々はこんな気持ちだったのかなとか思ったりして。

こづち大会決勝に選ばれたぐらいなら、きっと仕事の中でプラスの何かを見付けて選ばれたんだろうと思うので、そういうことが私は嬉しい。後輩たちが育っていく、そういう手応えが一個ずつでも増えていったらいいなって思います。

キャリアアップの意志が芽生える会社

現在この横浜工場に統括リーダーは私一人なんです。私の上には、マネージャー、部長、本部長がいらして、ある意味大船に乗ったような気持ちで自由にやらせていただいて、とても感謝しています。一方で、もっと統括リーダーになりたいという人が増えたらいいなとも思っていて。

私自身、いろんな失敗を許していただき、良いところは認めていただき、ここまで来させていただいているので、評価され、役職が付きっていう道は絶対にあると思うんです。問題は「統括リーダーをやりたい」という意志だと思います。

ただそのためには、統括リーダー以上の役職を持った人が、「こんな楽しさがあるよ」とか、「こういう魅力があるよ」っていうことを伝えていけるかどうかが大切だと思うので、それはある意味、私自身のミッションでもあります。いま以上にもっとキャリアアップの意志が芽生えるような会社にしたいですね。

そういう意味では会社の環境や条件も大きな影響があると思います。私はシュクレイにずっと「人間ありきの会社」であってほしいなって思っていて。現在もシュクレイは人間的であると信じているんですけど、今でいうと、ちょうど繁忙期なので生産部も忙しく、毎週土曜出勤もありますし、残業もあります。私は軸に、生活を侵されたくないっていうのが絶対的にあるので、自分の担当するラインでは常に最善策がないか模索しているんですけど、なかなかむずかしい。

土曜出勤とか残業って、結局「この人のために頑張りたい」とか「この人を助けたい」とか、そういう人間関係ありきで成り立っていると思うんです。そこを仕組みとして解決できないか。私はシュクレイのことを、こんなにホワイトな会社はないなって思っているんですけど、そこはもっと良くしていくために会社とともに目指したい場所ですね。

  • STORY .01
  • STORY .02
  • STORY .03
  • STORY .04
  • STORY .05
  • STORY .06
  • STORY .07
  • STORY .08
  • STORY .09