【池田 奈織子 略歴】
2005年シュクレイと同じ寿スピリッツグループの株式会社ケイシイシイにアルバイトとして入社。ルタオ本店にて契約社員として社員登用。その後、札幌の期間限定店舗の立ち上げに参画し、正社員となる。小樽のルタオ パトス店の立ち上げを経て、同店店長に就任。これまでの新規店舗立ち上げ経験から企画開発へと異動。ケイシイシイ関東一号店となるグラッシェルを皮切りに、東京駅のピスタアンドトーキョー、あんバタ屋と大人気ブランドを世に送り出す。2020年企画開発部マネージャーに昇格。株式会社シュクレイに企画開発職として出向。新ブランド企画開発担当として、フィオラッテ、ドローリーを手掛ける。

入社当時の気持ち、思い出

軽い気持ちで引き受けたアルバイト。それがまさかの企画開発職に

Q.入社動機、寿スピリッツグループ、シュクレイの入社時の印象は?

シュクレイと同じ寿スピリッツグループの北海道のケイシイシイという会社から、商品の企画開発職として出向して来ております。はい、入社もケイシイシイです。17年前ですから、ちょうどルタオ本店がオープンして会社も大きくなるタイミングでした。

最初はアルバイトで入ったんです。地元小樽のお友達が「私アルバイト変えるんだけど、暇なら替わりに入って」って(笑)。大学を卒業してから何をしたいかも特に決めていなかったものですから、「これから何をするか考える機会としてもいいかな」って、本当に軽い気持ちで引き受け、入社しました。

ルタオの本店でアルバイト。そこで契約社員になり、そのあとに札幌で期間限定の新店舗がオープンすることになって、その店舗の立ち上げをやりました。そのタイミングで正社員になりまして、次に小樽のパトス店の立ち上げ。立ち上げ時は2階のカフェのチーフで、そのあとに店長になりました。

そんな風に販売の時から必ず新店舗の立ち上げにいるから、気づいたら新店舗の立ち上げ担当みたいなポジションにいつの間にかなっていて。それで会社も「もうそれって企画職でいいんじゃないか」みたいな感じで、企画開発に異動になりました。

正直ここで正社員になるつもりで入ったわけでもなく、すごい軽い気持ちで入社したのに、面白いことを常に最初にやらせていただいて。本当に毎日が面白くて。目まぐるしく成長する会社なので、その変化と激動の大変さがやっぱり飽きなくて。それが続けている一番の理由な気がします。

二度目の東京。シュクレイとの出会い

北海道で展開しているケイシイシイが初めて東京に出店した、グラッシェルというブランドの立ち上げを担当しました。アントルメグラッセ・グラスというアイスクリームを使ったデコレーションケーキの専門店です。見た目はまるで芸術作品。その立ち上げを、一人で…、忘れられないです。一人で…、もうひどーいって思って(笑)。

でも、本当に綺麗事じゃなくて、人に恵まれていることが私の一番の長所で、必ず助けてくれる人がいるんです。しかも、すごく強く、大きく。私だけがすごく頑張ったことはなくて、私は騒いでいるだけなんですよ、常に。騒ぐのが得意で、でも必ずちゃんとしたフォローをしてくれる人が現れる。その時もちょうど東京に寿スピリッツグループの事務所ができたタイミングで、その方々と、あと同じグループ企業の九十九島の方にすごく助けていただきました。

はじめは本当に息をするのも苦しい…くらいだったんです。東京の人と接したことがほぼなかったので、都会ってすごいなって思いながら。でも、ぐいぐい引っ張って、当たり前のように進めてくださって。それをみていると、「ああ、自分ってまだまだ何にもできていないんだ」って、すごくその時にショックを受けました。初めてのショックだったかもしれないですね。正直、北海道では店長までやって、会社の中で結構自分ってできる方かなって、勘違いしていたのだと思います。なので、その人たちには頭が上がらないですよね、本当に。

それで、そのあとの関東出店、新ブランドも全部担当させていただいて(東京駅のピスタアンドトーキョー、あんバタ屋:フロアで売上1位、2位を誇る大人気店)。企画って面白いなって思って、晴れて北海道に帰ったらマネージャーの肩書きをいただいたんです。でもすぐに、シュクレイに出向になりました(笑)。まだ北海道で何も成し遂げていないままに…。「えー!」ってなりますよね、マネージャーになって初仕事が出向みたいな。

やっぱり、最初はすごい不安でした。グループの中でも、シュクレイ、ケイシイシイって、ワンツーで、もともとケイシイシイが一番だったんですけれども、シュクレイに秒で追い越されて行って、悔しい思いも当時はしてましたし。それに北海道人から見たら、シュクレイは東京の華やかな会社!みたいな、そういう感覚で不安もあったんですけど。それがなんか、シュクレイの人たち、みんな優しくて…、「えっ!」て、なりました。事前によくない噂とか、あったかもしれないじゃないですか、「あいつ、やばいぞ」みたいな(笑)。でも、みんなすごく本当に優しく当たり前のように受け入れてくれて。

それに阪本社長や平間部長はケイシイシイでいっしょに働いていましたから、すごく心強かったです。でもなんか不思議な感じもするんですよね、いまの経営の主軸を担っている上の方々と、まだその肩書きがない時からいっしょに仕事をしていたことが。すごく貴重な経験だったと思っています。「さすがだな」と思いますし、「だからこうなれるんだ」みたいな、実績とその背中を見てきました。尊敬できるなぁって思います。

起点 -ターニングポイント-

一夜で世界が変わった、あの日。

一夜で世界が変わった、あの日。

Q.現在のポジションに至るまでに起点となった出来事、マインドセットは?

ちょうど私がアルバイトでルタオ本店に入ったタイミングが面白くて。ルタオって、北海道の企業ではない会社が北海道にお店を作ったので、最初は全然地元に受け入れられていなかったんです。客足もあまりなく、売れていないお店…。私も自分の地元なのに、あるのは知っているけれど、行ったこともないし、興味もないみたいな感じでした。なので、正直アルバイトで入って1年ぐらいは、すごく暇だったんです。私、毎日やることがないんで、その辺を拭いていたんですよ。本当に掃除しかやることなくて。

それが、ある日突然テレビで紹介されて、本当に一夜で世界が変わった。次の日から電話が鳴りやまなくて、回線がパンクして、市役所の方に怒られて。商品はなくて、お客様にも怒られて。本当にみんな毎日謝り倒すのとお客様対応で、休む暇もない、ご飯を食べる時間さえないっていう感じでした。

もちろん目に見えて、売上が何倍にも跳ね上がっていくのを実際その場で体験しました。正直すごく大変で疲弊はしていたんですけれど、楽しかった。いっしょにアルバイトをしていた人たちがすごくその辺のモチベーションが高い人たちだったので、「もっと効率よく上げられるよね」「回転できるよね」みたいなことを話しあって、みんなそれを楽しんでいましたね。

その時にいっしょに働いていた人たちとはもう20年近くになりますけど、ずっと仲良いです。あの時代をいっしょに乗り越えて発展させたという実績と自負、私たち頑張ったよねっていう思いがあるからだと思います。テレビで紹介されるまでには、「120円のシュークリームを1個からご自宅にお届けします」とか「地元のイベントには必ず試食会で商品を配る」とか、先輩たちの地元に愛されるためのコツコツとした行動の積み重ねがありました。味には自信がある。あとは地元企業ではない会社が地元に愛されるための努力です。

その結果、お客様がいっぱい来て下さいました、売上が上がりました、お給与が上がりました、ボーナスも上がりました。嬉しいじゃないですか。そこは大事かなと。その時の経験が私の起点になっているような気がします。

商品設計が「お客様」「働く人」「会社」、三方良しの喜びを創る

商品設計が「お客様」「働く人」「会社」、三方良しの喜びを創る

会社が大きくなったその瞬間を経験して、それがすごく面白かったんですよ。なので、「会社を大きくしていくために必要なことって何だろう」と考えるようになり、「どうやって会社に利益を残し、上げていくのか」を意識して働くようになりました。そうすると、物事をみる視点が変わって来たんです。

販売で店長をやらせていただいた時は、毎月自分のお店の採算表の予定を自分で組みますし、結果も自分で分析して、自分のお店の売上利益をどう上げていくかってことだけを考えてやっていました。実際に自分たちで作った対策がちゃんとはまって、マイナスだった最終利益が改善されてプラスになっていく過程をみる面白さ。それがすごく自分にはまっていたというか、そこに楽しみを感じるタイプだったので、店舗経営が楽しかったんです。

でも、企画に異動して来てみると、実はそれって会社のほんの一部分でしかないって気が付きました。それは決して、販売を軽くみているということではありません。販売する人は私が主役だという自覚と使命を持って、お客様と面と向かってやり取りをする。店舗時代の私もそうでした。やっぱりお金を出して買ってもらうことってすごく大変なことだし、それがないと、そもそも企画を起こすこともできないんです。

その売上を作ってくれている販売員の方たちが何のストレスもなく、自信を持って売れる商品を、ちゃんと最終的に利益が出るような設計にしておけば、お客様も、販売の人たちも、会社もプラスで、みんながハッピーになる。

それが企画に来てから見えてきて、そこを組み立てるのがすごく面白い。やっぱり販売をやっていたことが自分にとってはすごく強みになっているなと思います。たぶん企画だけやっていても、うわべの素敵な部分とか、派手なことしか分からなかったと思うんです。

10万、20万の利益を生み出すことがどれほど大変で人手が掛かっているか。店舗時代の自分の経験を忘れず、そこに奢ることなく、商品企画をする。そこをすごく大事にしています。ただ美味しいものを創るということだけではなく、ちゃんと意味がある、みんなが労力を使った分だけ、しっかり身になるような商品設計、ブランド創りをしたい。自分の中で絶対にブレてはいけない部分だと思っています。そういう意味でドローリーは現在までの私の集大成なんです。

働くとはどういうことか?私の仕事観

突き詰めるから面白いし、真剣にやっていれば
みんな、ちゃんと見ていてくれる

Q.あなたの人生において仕事とは何ですか?

仕事をしないと生きていけないので、するのは当たり前だなと思っているんですが、そうは言っても、かなり自分の時間を割かなければいけないので、面白いことをやっていた方がいいなぁって思っていますね。いまは会社が面白いから続けているんだと思います。極端な話、退屈になったらきっと辞めると思うんですよ。でも面白いんです、この会社が。

私の場合、どうしてもこの会社に入りたいと思って入ったわけではないんですよね。もともとは友達の代わりのアルバイトですから(笑)。企画に入りたくて仕事をしてきたわけでもないし。何か気付いたら企画にいて…、でも自分でも向いてるかなと思い始めています。

販売で店舗を経験して、一夜にして世界が変わる瞬間を体験して、企画になってからは利益の出る商品設計でみんなが幸せになる仕組みを考えて。突き詰めるから、面白いし、真剣にやっていれば、みんなちゃんと見ていてくれる。それが最近やっとわかりました。

困った時でも絶対誰か助けてくれる人が、この会社にはいるなって私は思っています。会社でしか会わない人が大多数ですけど、新ブランドとかやると初めてのことも多くて、わからないことも多々あって、企画なのでまとめなければならないという時に、各部署みんな快く助けてくれる。同じ方向に向かって、本当に。

楽しむって、真剣にやっていないと楽しめないと思うんです。経営理念手帳「こづち」の中にも、「楽しく取り組む」というページがあります。すごく好きなページです。うわべだけ聞くと、嫌なことを投げ出して楽しく働くみたいに聞こえますけど、そうではなくて、ちゃんと真剣にやっている人が集まれば、そこは楽しい場所になる。私はそう解釈しています。真剣にやっているから楽しい場所だし、真剣にやっているから助け合える。そうですね、風土かもしれないですね。

すべてのものは常に変化する。正解をつくらないこと

いまだにわからないんです、企画って何がプラスに働くかって。自分がいいって思うものが必ず売れるわけではないですし、結局すべては結果論でしかないんですけど。むずかしい。強いていえば、正解をつくらないことかもしれませんね。

河越会長も「変化することこそが普通」という感覚なんです。例えば、ひとつのブランドを創る時、「ブランドってこうあるべきだ」みたいな主軸があって、トーンマナーがあってと、最低限守らなければいけないところがあると思うんですね。河越さんはそこの最低限守らなければいけないところも含めて、感覚で捉えていて、「常に変化するべきだ。なぜなら時代は変化していく。お客様も変化していく」みたいなことを当たり前におっしゃるんです。

その一面だけみると、コロコロ変わるのですごく大変なんです、関わる人は。でもその半面、「それって、でもそうだよね」と思っていて、自分自身も変わるし、変わらないものが正解ってやっぱり違うって。そこを本当に教えていただいたなと思っています。その感覚を企画として自覚していないといけないなと思っていて、だからこそ正解は常にないんですよ。こうあるべきっていうものもないし。ただ、ここは間違ってはいけないみたいなところが結局感覚値になってしまうので、なかなかそれを共有するのはむずかしい。そこが企画という仕事の課題だなと思うんですけど。

そうですね、私は河越さんが社長をしているケイシイシイで長く働いていて、本当にいい体験をさせてもらえたことが自分の核になっています。大変なこともいっぱいありましたけど、それよりも得たものが大きい。こんなにいろいろな体験を得られるチャンスをもらえたことがツイてるな、と思います。

それに、会社の中で知らないことがないぐらいの人になれれば、何でも瞬時に判断できるということを、河越さんを傍で見ていて知りました。社長でしたけど、販売のことも生産のことも何でも知っていらっしゃる。実際に現地に足を運んで、生産する工場の中に入って、みんなにただ挨拶をして、出てくる。そんなことをずっとやられている姿も見ていて、「何でも知っている人って、すごいな」と思いました。

企画になってからは販売にいた時と違ってずっと本社にいるので、全部の部署と関わります。奥の奥を知れば知るほど、もっとこういうふうにやれば、効率よく上手くいくみたいなことを考えます。河越さんほどではないにしても「何でも知っている人」に少しでも近づきたいと思ってやっているつもりです。

シュクレイ、寿スピリッツグループで活躍・キャリアアップできる人とは、どういう人か?

視野が広い人。文句をいう前に 「いま他にできることがある」と思える人

Q.シュクレイ、寿スピリッツグループで活躍できる人・キャリアアップできる人とは、どういう人?

自分でも何でマネージャーになれたのか、よくわからないんです。真剣に仕事をしたのは事実ですし、ツイてた…プラス思考の人…、でもやっぱり視野が広い人な気がします。自分のやっていることだけをみて視野が狭くなると、ネガティブなことがいっぱい見えてきますよね。実際仕事をしていてすごく優秀だなって思うのに、ここがマイナスだなって思う子は、いつも文句がいっしょだと思っていて。「こんなに自分はやってるのに見てもらえない」って。

それ、私もたぶんそうだった時期があったんです。でも、統括リーダーになってマネージャーになって、ステップアップをしていった時に「なったならこうあるべきだな」「こうならなきゃいけないな」というのを周りのその役職の人を見ていて思うところがあったんです。

それは、文句よりも先に「他にできることってあるよね」と考えられることです。自分のことに固執してやっていると、結局「私はこれだけやっているのに評価してもらえない」っていつも同じ文句になってしまう。そうじゃなくて、「周り全体を見てごらん」と。視野を広げて全体が見えれば、その文句は出なくなる。他にできることがあると気づく。そうすると人を理解するようになってくる。そういうことだと思います。

そうですね、外資系みたいな完全成果主義の会社とはここは違いますからね。結果さえ出せば上がって行ける風土ではないですね。それを言うと、みんな頑張っているので。頑張っているのはみんな一緒なんです。もっと別の何かが上がる人にはある。

上に行けば行くほど、下に付く人が増えていくわけであって、関わる人が増えていけば、自分の感情だけで物事が済むわけではないですし、自分だけがやればいいわけでもない。

何となく、「そろそろ自分がその役職に就かなきゃな」と思った時期があったんですよ。マネージャーとか、その役職に。そう思うようになったきっかけは、企画に来て、企画という部署があんまり評価されていないというか、されづらいというか、私が思っていた企画じゃないなと思っていた時期なんです。もっとこう変わればいいのにって思っていた時期が、自分が上司に対する不満を募らせていた時期でした。

「あっ、それって思っているなら自分がやればいいじゃん」って気づいてからは、たぶん変わったんですよね。人がその部署の顔になったりするじゃないですか。じゃあ、自分がマネージャーになって、「池田さんがやってる部署ならば、物事を成功に導いてくれそう」とか、「助けてくれそう」とか、信頼してもらえる部署にできないかって考えました。そうすれば、いま一緒に働いている人ももっと働きやすくなるだろうし、面白いだろうなって。

会社に対して利益貢献したいという思いはずっと変わらないので、「大きくするためにも、もっと核の部分に自分も入り込めるような人にならないと」と考えていた時期でもあって、「やっぱり役職も必要なんだな」と思ったような気がします。そう思ってから、自分の行動が変わっていったんでしょうね。

使命感。そうですね、そっちの方が早いなぁって思った瞬間に行動が変わったような気がしますね。経営理念手帳「こづち」にもありますけど、「自分が変わる」ということも大事な要素なのだと思います。

未来の自分、未来のシュクレイ

東京駅、全部シュクレイ。みんな思っていますよ

Q.これから、どのようになっていきたいですか? 自分と会社の未来力

会社は、絶対まだまだ大きくなるのは間違いないと思っています。大きくなるというのは具体的に何かというと、例えばこのお菓子業界というカテゴリーがひとつあるとするならば、そこに占めるシュクレイ、寿スピリッツグループのボリュームが、もっともっと高くなっていって、変な話、東京駅全部シュクレイ、みたいな(笑)。全部違うブランドだけど、全部シュクレイ(笑)。

それ、たぶん、夢じゃないと思う。そこにケイシイシイとかもいると思うんですけど、気づいたら、あっちもこっちも全部。そういうことに近いうちになるんじゃないかなぁて、勝手に思っています。

試食も全店でお出しするので、東京駅を歩いているだけで、きっとお腹いっぱいになっていただけます(笑)。面白いですよね。でも、なるんじゃないですかね。みんな当たり前に思っていると思いますよ。社長をはじめ、かなり近い未来になるだろうなぁって。

そうですね、東京駅を埋め尽くすにはまだブランドは足りない、全然足りないです。足りないので、追いつかないので、いっぱい創りたいんです。新しいブランドをもっとたくさん立ち上げるためにも、いま新ブランド担当として、自分のほかにもそれをやれる人、やる人をすごくつくりたいって思っています。別に、何でなれるかという明確なものはなくて、別に誰がやってもいいんではないかと思うんです。私自身、そういう風に育って来ましたし、「あなたでしょう」って今は言われているだけの立場に過ぎません。

でも具体的に「じゃあ、次はこの人」ということが明確になっていないので、そういう人をつくりたい。私自身は、新ブランドとか新しいものを「創る人を育てられる人」になれたらいいですけど。でも自分も口を出したい人なので…、そうですね、ご意見番みたいな(笑)。

私、常に自分より優秀な人にすごく近くにいてほしいんです。というのも、上から物を言われた時に、「何でこの人に言われなきゃいけないんだろう」と思われたくないので。そうすると私は常に「誰よりもできる」と思われていなければいけない。それがすごく刺激的だなって思うんです。

現在の企画開発もみんな本当に優秀で、たまたま年齢だったり、入社の差だったり、役職が違うだけであって、別に私が偉いわけではないので、そういうすごい人たちがもっと集まって来て、大きくなっていけたらいいなぁって思っていますね。

それに私は出向で来ているので、ケイシイシイのことも常に気になっているんです。ケイシイシイも関東でブランド展開をしているので、本当は両方やれたら面白いなというのは、自分の中でわがままな希望ですけれども持っていますね。

本当に会社が寛容で、私みたいな人を受け入れて、ここまで育て上げてくれたことがすごいことだなと思っています。だから、仕事をちゃんと頑張れば受け入れてくれる、絶対優しい会社だと思いますよ。見捨てないし。自分が嫌で辞める以外は見捨てない。それは本当に大事にされていると思います。

人それぞれ感じ方は違うかもしれないですけど、私も20年近くいて辞めない理由としては、面白いことを体験させてくれる面白い会社なんで。友達の代わりに入ったアルバイトが上手くはまりました、本当に。どんなご縁なんだろうと思いますけど、ご縁がありましたね。

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