入社の動機

みんなが同じ方向を向いて仕事ができる「経営理念手帳こづち」

みんなが同じ方向を向いて仕事ができる「経営理念手帳こづち」

高校を卒業してすぐにアパレル会社に就職しました。渋谷のあのビルに入っているギャルブランドです。そこで10年働いて、考えました。ひとつは、その会社しか知らないという危機感。もうひとつはギャルブランドですから、ここでこのまま歳を重ねていけるだろうかという危機感です。それで転職を決意しました。
エージェントの方に相談して、アパレル以外の6社の候補をいただいたんです。アパレル時代は店長とマネージャーの経験があり、人間関係で苦労した。そんな背景を抱えて臨んだ面接。シュクレイの経営理念手帳「こづち」の存在が強烈に刺さりました。
120もの経営フィロソフィーを社員全員が実践している会社。「これだ!」「これがあれば悩んだ時にみんなが同じ方向を向ける」。その直感は面接が終わる頃には確信に変わっていました。絶対にここに入りたい。店舗経営の経験を存分に活かせる「超現場主義」と、みんなが同じ方向を向いて仕事ができる「経営理念手帳こづち」の存在。それが私にとっての入社の決め手でした。
最終面接を通過し、最初の配属は当時「特販」と呼ばれた催事の部署です。催事は移動の販売ですから、はじめは体力が持たず苦労しました。でもいつも寄り添ってケアしてくれる上司のおかげで乗り越えることができました。「自分の成長が恩返し」と一層頑張れたと思います。次第に催事ごとでいっしょに働くマネキンさんや派遣販売員さんからも「1週間だけど、本間さんといっしょに働けて楽しかった」と言っていただけるようなりました。それが私にとってはとても大きな出来事だったんです。
いっしょに働く仲間に仕事を通して楽しさを伝える。それは私がアパレル時代にできなかったことでした。アパレル時代は自分が「もっとこうしてほしい」ということを一方的に相手にぶつけてしまっていた。でも自分ひとりの思いで人が動くはずはありません。経営理念手帳こづちに「許す・認める」という項目があります。自分に対しても、相手に対しても、ありのままを認めることが大切という内容です。つまり相手の背景をしっかりと受け入れることが大切なんです。だからシュクレイに入社してからは、「もっとこうしてほしい」ではなく、「できないところを責めないで、できるところを伸ばしていこう」に変わりました。それが「本間さんといっしょに働けて楽しかった」という言葉で返ってきたことは私にとって、とても嬉しいことだったんです。
経営理念手帳こづちの実践。入社2ヶ月ほどの出張時、ランチをしながら上司に「本間さんは何でこの会社で働いているの?」と訊かれたことがあります。私が上手く答えられずにいると「こづちを実践するためでしょ?」と上司が言いました。入社した時に私があれほど縋った経営理念手帳こづち。その活かし方を本気で考え出したのは、それがきっかけでした。

出来事

できない自分を認める

ブランドを育てる。“手のかかった子”ほど、愛おしくなるものです

2021年の11月1日付で私は、ココリス グランスタ東京店の店長に任命されました。ココリス グランスタ東京店は私が異動となる前に、わずかオープン9ヶ月で東京駅売上1位を記録し、その後も1位を取り続けているお店です。無名の新ブランドがわずか9カ月で売上1位を達成することは並大抵のことではありません。超人技です。なにせ、立地がお土産菓子 最激戦区ともいえる東京駅なのですから。そこには前任の店長の並々ならぬ努力とリーダーシップがありました。前任の店長とは私も親睦が深く、ある程度の経緯は理解しているつもりでした。
でも実際異動後に面談や業務の中でスタッフから前任の店長の話を聴くたびにそのすごさは私の想像を超え、どれだけすごい店長であったのかを物語っていました。ある日、引継ぎを兼ねて館様に上司と前任の店長と私3名で商談に伺った時のことです。私は衝撃を受けました。
ご担当の方が「今まで何を大切にココリスの店長をされてきましたか?」と質問をされると、前任の店長は「私は東京駅売上1位、ただそれだけをみて走ってきました!」ときっぱり答えたんです。その気迫に満ちた声と表情に、私は不安になってしまいました。その覚悟と執念が自分にはあるのか…?それからすっかり心が折れてしまい、「何でその後を継ぐのが自分なんだろう」「他の人がやった方がみんな幸せなんじゃないか」と思い続ける日々でした。
私は基本的にはポジティブな人間なので、なよなよしているのがすごく嫌なんです。それで特販時代も今の上司でもある茂木マネージャーに洗いざらいを打ち明けました。
「なんで、そう思うの?」。茂木さんは一切私の話を否定せず、終始私に話させる姿勢で最後まで話を聴いてくださいました。話をしていくうちに段々自分の考えがまとまっていって、最後は「あれ?私、まだやれることがある」と気が付きました。
あの特販時代の「許す・認める」。今度はできない自分を認めることだと気が付いたんです。足りないものはこれから補えばいい、やれることはまだまだある。すっかり気持ちは前を向きました。
「もう決まったね?」と茂木さん。「そうですね」と私。その日から私のエンジンに火がつきました。どんなに不安でも、どんなに辛くても、笑顔でいよう。スタッフを不安にさせないように。そう心に誓い、お店に立ち続けました。

「許す・認める」、それはありのままを受け入れること

コツコツやっていくこと。一人ひとりのお客様との会話・関係を大切に

そして12月、ココリス グランスタ東京店初の単月1億円突破。単日単月共に過去最高実績を更新。12月、1月と順調に推移し、東京駅売上ランキング9ケ月連続1位を更新することができました。
しかし2022年2月、蔓延防止等重点処置が発令され、東京駅には人がぱったりといなくなってしまいました。2月の売上ランキングは2位。連続1位の記録更新を止めてしまったのです。ここで私はまた心が折れてしまいました。
「やっぱり私が店長になったから連続1位の更新を止めてしまったんだ…」。でも今回は前回の挫折があったから、すぐに気持ちを立て直せたんです。
「許す・認める」、それはありのままを受け入れることです。
「2位という現実を受け止め、また1位に返り咲けばいい」。オープン時から1位へと導いた前任の店長に負けないくらいの執念と覚悟に火がつきました。 「対策を早く早く打つ、対策を深く深く打つ、対策をもっともっと打つ」。経営理念手帳こづちにあるように徹底的な対策抗戦に出ました。店長代理と副店長と「1位に返り咲くためにはどうするか?絶対1億行こう!」と徹底的に話し合い、スタッフにも賛同を得ながら着々と準備を整えました。販売ロープレやニーズチェックのワークシートの見直しも怠りません。季節限定商品は前年の倍にしました。ブランド会議で生産から「本当に大丈夫ですか…、こんな数字みたことないんですけど…」と念押しされるほどの数量確保。茂木マネージャーと「絶対、売れるっしょ!」「行けるよ!」みたいな感じで(笑)。でも生産には茂木さんがきっぱりと「ご安心ください」と言ってくれましたね。

ココリス グランスタ東京店は2022年3月から現在11月まで、9ケ月連続売上1位を更新し続けています。8月と10月は1億を突破しました。最初は頼りなくてスタッフに心配ばかり掛けたと思います。でも2回の挫折を経て、やっと私はココリス グランスタ東京店の店長と名乗っていいと思えるようになりました。
1位で居続けることの大変さ、そしてスタッフがどれだけ頑張ってくれているのかが分かった1年。1年前の自分は不安でいっぱいでやり遂げる自信が無かった。でも1年後の自分は私ひとりで闘っているのでなはく、私にはココリス グランスタ東京店のスタッフと茂木マネージャーという強い味方がいてくれることに気付けました。
他人と比べないことで心が楽になり、完璧ではないからこそ日々シンカしていく。自分が変わることも大切ですが、今までの自分を信じて向きあうことの大切さ、未来の自分をイメージすることの大切さを痛感した1年でした。

厳しいアパレル業界でミッションをクリアし続けた10年

ルーツ

厳しいアパレル業界でミッションをクリアし続けた10年

高校時代はギャルでした。ちょうどギャルのファッション誌も流行っていた時代。もともと目立ちたがり屋な性格でしたし、ずっと双子の妹と比べられながら育ったから、まじめな家族の中でも自分だけ異色な存在になりたかったのかもしれない。授業は寝てるし、さぼってアイスクリーム食べに行っちゃたり…、部活も入ることなかったですし…、あっ、でもなぜか生徒会はやっていました、1年生の時。「生徒会なのに何で髪染めてんの?」なんて言われながら(笑)。
そんな高校生活だったから卒業後はギャルのアパレルブランドの会社に就職したんです。あの渋谷のビルに入っているブランドでしたし、「ギャルでいられて、お金も貰えるなんてラッキー!」って(笑)。でも実際に就職してみると「友達はみんな大学に行って遊んでるのに、こっちは仕事かぁー!」って。「こっちはこっちで充実してるんだ!」っていうところを見せつけたくて仕事に没頭しました。

アパレル業界って上下が厳しいんです。学生時代に部活経験がなかったので初めての上下関係なんですけど、「一番下っ端だけど、絶対一番取ってやる!」って躍起になってました。掃除や声出し…etc. 先輩の厳しい指導には謙虚に応じながらも、心の中では「絶対追い抜いてやる!」って思っていましたね。
その結果、地元の千葉店で売上No.1になりました。もしかしたらそれが、これまでの人生で初めての自分の手で掴んだ自信だったかもしれません。そして念願の渋谷のあのビルにある店舗へ副店長として異動になりました。
ミッションは渋谷の売上を上げること。同じく福岡の店舗から引き抜かれた先輩が店長で、特別に呼ばれた肩身の狭さをふたりで感じながらもミッションを遂行しました。そのあと、広島、横浜と「3ヶ月という短期間で売上を上げる」ミッションをクリアして横浜で店長、最後はマネージャーになりました。

猛烈体育会系の、厳しいアパレル業界でミッションをクリアし続けた10年。やっぱり店長になれた時が「これまでやってきたことは間違っていなかった」と強く感じた瞬間でした。そして、「これまで先輩や上司から受けたような、自分が嫌だと思った扱いを私は自分の部下には絶対しない」と誓った瞬間でもありました。でも負のスパイラルって、なかなか抜け出せないんです。気が付くと「もっとこうしてほしいんだけど」と言っている自分がいるんです。「自分はできたのに、何でこの子はできないんだろう?」って。もちろん部下との間には次第に亀裂が生じて…。
そんな負のスパイラルから、やっと抜け出せたのがシュクレイであり、経営理念手帳「こづち」だったんです。120もの経営フィロソフィー。それはどれも生きた哲学です。その中でも「許す・認める」は私をその負のスパイラルから救った哲学でした。ありのままを受け入れる。相手にも自分にも、そして事象にも。
シュクレイとの出会い、みんなとの出会い、ひとりではなく、みんなで同じ方向を向いて仕事ができる「経営理念手帳こづち」との出会いは私の人生を大きく変えた存在なんです。

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